彼女をマリアと呼ぶ日まで

独学ピアノ練習記

1日目 はじまりは突然に

 先日、電子ピアノを衝動買いしてしまった。

 その日おれはパチンコで負け、無力感にさいなまれていた。

 負けたせいで落ち込んでいたわけではない。ふと、暇があれば博打に入り浸る自分が厭になったのだ。

 休日を迎えるたびに賭場に足を運び、勝とうが負けようが貴重な時間を潰したと後悔を繰り返す自分が厭でたまらなかった。そう思いながら自身を制御できない弱さにジレンマを感じていた。

 そんな自分を少しでも変えたくて、近場のリユースショップに足を向けた。エレキギターを買うつもりだった。

 おれは弾き語りが好きで、以前はよくギターを弾いていた。しかし帰宅が深夜になる昨今、ギターに触れ得る時間は取れなかった。うちにあるのは音のでかいフォークギター一本きりであった。

 エレキなら真夜中でも弾ける。多少の音は鳴るが、やさしく弾けば隣の部屋にさえ迷惑をかけることはない。音が聞きたければアンプからヘッドフォンに繋げればいい。

 本来ならすべての余暇を小説の執筆に充て、作家という夢に向かって努力すべきだが、どうもうまくいかない。気がつけばパチ屋にいる。

 どうせ逃げるのであれば音楽の方がいい。下手な考え休むに似たりだ。同じ進まないなら博打より音楽の方が幾分マシだろう。

 そんな甘い考えでギターを買いに行った。

 しかしいまひとつ「これだ」というギターは見つからなかった。品揃えが悪く——田舎の中古屋に数を求めるのがそもそも間違いだが——バカに安い練習用ギターか素人には相応しくない高価なものばかりで、見た目においても好みのものはなかった。

 別の店にでも行ってみるか、と思ったところで”それ”が目に入った。

 キーボード15900円。黒いシックなボディでおれ好み。

 おれは以前からピアノが弾けるようになりたいと思っていた。キーボードが弾ければ作曲の幅が広がるかもしれないと空想を描いていた。

 やりもしない絵空事。思うだけで実際には努力もしないいつもの妄想。

 なぜか、いまがやるときだと思った。

 決意も固めぬうちに店員を呼び、購入を希望した。

 安い買い物ではない。17172円は絶対に弾くという強い意志なくしては払えない金額である(レジで値段を見たとき「あっ、そういえば消費税がかかるのか!」と一瞬固まったほどだ)。

 しかし買った。買ってしまった。

 こうなれば弾くしかない。28年ピアノのピの字も触れたことがないが、弾けるようになるしかない。

 おれは毎日練習する決意をした。練習法も決めた。その名も「毎日必ず1時間」だ。

 これは親友の勉強法の真似である。彼はこう言っていた。

「毎日1時間勉強するんだ。必ず1時間。多くやっても少なくてもダメ。1時間なら仕事が終わって疲れててもなんとかやれる。毎日勉強しているっていう自信もついてくる。今日はもっとできそうだと思っても明日に回す。そうしないと仕事しながらじゃキツいし、昨日は三時間やったから今日はいっかとか思っちゃうし、一度休んだらクセがついちゃうから。だから必ず毎日1時間。これ重要ね」

 実際これが有力な勉強法なのかどうかは知らないが、なんとなく有力に感じられる。そして無理なく続けられそうである(彼はその話をした時点で3ヶ月勉強を続けていたらしい)。

 そんなわけで今日早速1時間ほど手をつけてみた。しかし現時点でかなり眠いので、細かいことは明日書くとしよう。

 とりあえずこの日記の意義を記して1日目は終わりとする。

 

 彼女をマリアと呼ぶ日まで

 この日記は、おれが毎日必ず1時間ピアノを練習するよう、自らの心を束縛するために書くものである。

 この日記が途切れたとき、それが意味するのは、やっぱりおれってダメだなぁ〜〜、である!